自民安倍派、「100人ジンクス」から逃れられず…最大・最強集団から没落
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自民党安倍派(清和政策研究会)の政治資金規正法違反事件について、先日取材した自民幹部の言葉が印象深かった。
「『100人の呪い』は恐ろしい」


永田町には派閥を巡り、「100人以上では分裂する」という通説がある。
2000年以降、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と4人の首相を輩出し、「1強」を誇った安倍派もその例外ではなかった。
23年4月にちょうど100人に達したものの、安倍元首相の死去後、後継会長候補の本命は見当たらなかった。新体制に関する議論は混乱を極め、影響力は低下した。
その後、20年以上にわたる政治資金パーティー収入の還流・裏金化が発覚し、松野博一官房長官や自民の萩生田光一政調会長らは軒並み、役職を辞任。会計責任者らは立件され、最終的に派閥は分裂どころか、解散にまで追い込まれた。
東京地検特捜部の捜査に区切りが付いた今も自民内では、派閥座長を務め、自らの離党や議員辞職は否定する塩谷立・元文部科学相らの責任論がくすぶっている。若手議員からは「安倍派だったことは『黒歴史』になった」との嘆きが漏れるほどだ。
おごりや油断
数の力を振るううえで派閥の規模は大きいに越したことはない。ただ、大所帯では結束を保つのは難しい。党内で長く強い勢力を保持すれば、おごりや油断も必然的に生じる。
自民の首相経験者は「料亭で一つの座敷に入る人数は最大でも60人。派閥が100人になると同じ部屋に収まらない。互いに疎遠になり、そのうち名刺交換が始まる」と解説する。
確かに、田中角栄元首相が率いた田中派は140人を数えたこともあったが、1987年に竹下登元首相の竹下派などに分かれた。その竹下派からは110人近くになっていた92年、小沢一郎氏らのグループが離脱した。
最良の時期
安倍派の栄枯盛衰の分岐点となった出来事がある。2022年5月17日、東京都内の高級ホテルで開かれた派閥パーティーだ。
「我が党で最大、最強の政策集団、屋台骨だと確信している」
来賓の岸田首相がこう持ち上げると、会場に詰めかけた約2800人からは大きな拍手が巻き起こった。
安倍派にとってはこの頃が最良の時期だったのかもしれない。
